




前書き
フリーターズフリーの生田武志・栗田隆子で
人民新聞社主催の「フリーター運動・座談会」に参加しました(2007年12月17日。「人民新聞」1月 5・15・25日号に掲載)。そこでは、フリーター運動の現状について話し合った他、労働にたどりつけない「生きづらさ」の問題、今とは別の働き方などについても話し合いました。
「生きづらさ」については、栗田隆子が自身の不登校体験を基に発題を行ない、それを受けて参加者で話し合いを持ちました。しかし、座談会のあと、みんなで「生きづらさ」の問題を受けてとめて話ができたのだろうか、何かちがう言葉に流れたのではないだろうか、という違和感について栗田・生田で何度か話しました。
そこで、「フリーターズフリー」として、従来の形の学校や労働の場に参加することのできない「不登校とひきこもり」の問題について、もっと話し合う機会を持とうと企画しました。
この座談会にはグッドウィルユニオン委員長の梶屋大輔さんも参加していましたが、梶屋さんは、引きこもり支援の「ニュースタート」のスタッフでもあります。そこで、梶屋さんにあらためて座談会への参加をお願いしました。
生田・栗田、そして梶屋さんに加えて、生田の知り合いである大阪の「若者たちの居場所的ネットワーク」、コムニタス・フォロのコーディネーターである山下耕平さんに声をかけました。そして、1月6日、新宿区の大久保駅近くの喫茶店で、「不登校、ひきこもり、フリーター、野宿者、女性」問題について4人で2時間半にわたって話をしました。(運悪く、梶屋さんは当日カゼの状態がひどく、発言が少なめです)。
終わってみると、不登校についての話がメインになりました。そこで、今回の座談会のタイトルは「不登校・再考―学校に行かなかった/行けなかった声はいまどこで響いているのか」です。
なお、この座談会は、参加者とテーマを変えながら、これからも続けていく予定です。
●三題噺―フリーター・ひきこもり・不登校
生田 まず自己紹介します。ぼくは1964年生まれです。京都の同志社大学に行っていたとき釜ヶ崎のことを知りました。1986年に初めて釜ヶ崎に行って、それからずっと釜から動かず活動している状態です。学校を卒業してから日雇労働を始め、最近は大阪市が55歳以上の日雇労働者・野宿者に仕事を出す「特別清掃事業」で仕事をしながら野宿者支援活動などをしています。
20年間ずっと日雇い労働運動とか、特に90年代以降は野宿者支援活動をやっていましたが、ただ、そのなかで自分のやっていることがどういう意味を持つのか、なかなかわからないというところがありました。釜ヶ崎って、特殊な地域じゃないですか。釜に来た人がよく「こんなところが日本にあるとは思えませんでした」と言うんです。そんな特殊な世界での活動が、社会全体の中でどういう意味を持つのか、わからなかったんです。
けれども、2000年頃に寄せ場が衰退していくのを見ていて、日雇労働者の代わりをフリーターがやっているのではないかと考えるようになりました。不安定就労問題に関して、日雇い労働者がリハーサルをやり、フリーターが本番をやっているのではないかと。だとすれば、かつて日雇労働者が野宿になったように、フリーター層が野宿になるのではないか。
実際、2000年以降、フリーター問題がクローズアップされ、いまは若者の貧困問題が注目され、まさしく本番を迎えつつある。そのなかで、フリーター問題についても自分に何かできないかと考えていて、『フリーターズフリー』をここにいる栗田さんたちとはじめて、2007年にようやく創刊号を出せたわけです。それには5年ほどかかりました。
梶屋 集まったのは2002年くらいなんですか?
栗田 最初のメンバーといいますか大澤さん、杉田さんの二人が会ったのが2002年くらいですね。
生田 杉田さんからぼくに最初に話が来たのが2001年か2002年かで、それからが長かったんです。内輪の話になりますが、メンバーの脱退があったりすると、それでものすごく時間とエネルギーを使います。結婚するよりも離婚するほうがはるかに大変って言うけど、あれと同じですね。
あとでまた話すことになると思いますが、ぼくは最初「日雇労働者とフリーター」の問題について書こうとしていましたが、途中で「ニート」問題を考え始めました。もちろん、「ホームレス」「フリーター」という言葉自体に問題があるように「ニート」という言葉自体に問題があるのですが、ただ、「ホームレス」と「フリーター」の中間としての「ニート」という概念は考えるに値すると思ったんですよ。多くの日雇労働者のように、「仕事に就きたくても仕事がないので働けない」というのではなく、「心理的に働けない」若者が無視できない規模で現われている。その問題を考えていて、これは不登校の労働版ではないかと思いました。学校に行きたくても行けない、あるいは行きたくないこどもたちがいたように、会社での労働という形で社会に入ることができない若者が相当数いるんのではないか。それを一つにきっかけに、「フリーター≒ニート≒ホームレス」という長い文章を書き始めました。そして、それを考えているうちにこの問題は日本社会の問題が見えてくる切り口ではないかとも思えてきました。今日はそのフリーター、ひきこもり、不登校についてみんなで話していければと思っています。
●「引きこもり」者の支援活動と労働組合との連関
梶屋 梶屋大輔といいます。よろしくおねがいします。フリーター全般労働組合に参加しています。普段はNPO法人ニュースタート事務局というところで活動しています。今日も訪問活動をしてきたんですよ。
生田 訪問活動をしてきたんだ。
梶屋 月に何度か家庭訪問をしてひきこもってる人に会いに行くんですよ。私の仕事はその訪問活動と、事務局で電話相談を受けたり、関連会社で職場体験に同行したりするなどしています。労働組合の方ではたまに相談を受けたり、抗議行動や集会に行ったりしています。それと、グッドウィルの件では委員長として集会で発言させていただいたりもしています。ここ最近は、ニュースタートの代表に銀行をつくれと言われたのがきっかけでNPOバンク連絡会というのに顔を出させてもらっていて、2月頭に行う第3回NPOバンクフォーラムの実行委員をやっていたりもします。
主には、引きこもりやニートと日雇い派遣、そのあたりのことをやっています。
生田 引きこもり問題に関心を持ったきっかけはなんだったのですか?
梶屋 きっかけは、就職活動の失敗ですね。就職氷河期ではなかったんですが、どこにも内定が出なくて。学生の頃に遊んでいたというわけでもないんですけど、「これをやってきた」というのがなかったので、全然自分に自信がなかったんですよ。夢中になれるものがなくて、やりたいこともない。それでもそれを就職活動の時期になれば求められるわけですね。しかたなく、派遣会社に登録して4月から紹介予定派遣で営業の仕事を始めました。紹介予定派遣というのは、半年くらい働いて会社も自分もよければ、そこで採用なんですが、「営業の資質がない」と半年働いてクビになったんですよ。そのあと転職活動をしたんですが全然決まらず、フリーターとかニートするしかないかな、と。当時ちょこちょこ出ていたフリーターやニートに関する本を読み始めました。その時期に『希望のニート』というニュースタートの代表が書いた本を読んで面白いと思ったんですよ。そんなときに、たまたま地元に代表が講演に来て、それを聴いたのがきっかけで千葉に遊びに行き、一昨年の4月からお世話になっているというかたちです。
栗田 長く働いておられるわけではないんですね。
梶屋 そうですね。私はまだニュースタートに来て2年経ってません。ニュースタート自体は13年くらいたっていて、それなりに古いんですよ。
栗田 ニュースタートにいるから生活が安定しているというわけではないですよね?
梶屋 たぶん同じくらい働いたとして、普通にフリーターしたほうが儲かります。
生田 いかにオルタナティブ労働が大変かという。
梶屋 支援する立場に支援が必要というか。金銭的には非常にきつい(苦笑)。将来の不安を感じますね。
栗田 いわゆる「オルタナティブ労働」の悲惨さといいますか(苦笑)。フリーターズフリーも悲惨というと語弊がありますが、これで食べていけるかというと難しいですし。
山下 それはどこも共通しているのではないでしょうか。
梶屋 活動をする期限を決めて、あとはなんとか収入の安定した仕事に就きたいと思うことがよくあります。少なくとも、今の仕事はやりがいはありますが、一生やっていくのは苦しいかなという気がします。
栗田 生業はニュースタートの支援活動で、日雇いには時々行かれるんですか?
梶屋 今は日雇いに行くことはありません。学生の頃に少し入ってたくらいで。グッドウィルの件に関しては、グッドウィルを組織化するために一度働きに行きましたが。
生田 日雇いというのは、一回でも仕事に行ったら組合に入る資格ができるんだよね。
梶屋 そうなんですよね。一度でも就労すれば労働契約が発生するので、そこでなにかしらの問題があれば交渉できるんですよ。
栗田 一回でも行けばそれで日雇い労働者であると言い得るわけですね。
梶屋 日本には個人加盟組合というものがありまして、世界でもなかなかない珍しい仕組みなんです。『ユニオン』と今、言われているところはだいたい個人加盟組合です。ユニオンというのは会社に組合がなくても、一人で入れて闘えるんですよ。
栗田 このあいだの人民新聞の座談会(注、2007年12月17日に行なわれた人民新聞主催の「フリーター運動・座談会」。フリーターズフリー、フリーター全般労組、フリーターズフリー、ダ★メーデー実行委員会、反戦と生活のための表現解放行動、ユニオンぼちぼち、フリーターユニオン福岡、その他の個人参加など、日本各地のフリーター運動のメンバーが集まって、現状報告、生きづらさの問題、現状とは別の働き方の問題などのテーマで話し合った)の内容と重なりますが、既存の労働組合ではないところで、築いていかざるを得ないところがあるわけですね。
梶屋 そうですね。以前からある労働組合の機能だけでは解決できない問題も多くなってきていると思いますし、大企業の中にある労働組合が非正規や派遣の従業員を組織化できていなかったりする。
栗田 「学校に行かなければ」とか「企業に入らなければ」という価値観は根強いとおもうのだけれど、その企業の中にすら実は、滅私奉公しなければいけないという価値観とちょっとずれた部分もありうるはずの労働組合という存在があったわけですよね。労働組合とが脈々と動いていた歴史がほとんど伝わっていない気がします。日本の企業の中には組合的な歴史もあったはずなのにそれも見えなくされているというか、伝わっていないという印象があります。釜ヶ崎ではまた別なのかもしれませんが。
生田 釜ヶ崎の日雇労働組合は非常に特殊なので、一般の労働組合と同列で語ることができません。ただ、一般的には、80年代は日本で労働組合が弱体化していった時代だったでしょう。90年代もそうだったかもしれないけど。景気がよくなれば労働組合も必要ない、みたいな感じがあったと思う。
栗田 梶屋さんはニュースタートで働いていて、労働組合の活動をされているということですが、その二つの活動において連関しているものをお聞かせいただきたいのですが。
梶屋 引きこもっていた人が何かのきっかけで働き出そうとしても、よほどの縁がないと日雇い派遣とか倉庫の仕事だったり、最低賃金に近い職しかつけないわけですよね。最底辺の労働条件を良くしていけば経済的な自立がしやすくなって、その余裕が全体的な自立に繋がるわけですし、関連性があるとは思っています。
栗田 栗田隆子です。いま、生業(なりわい)のほうは、厚生労働省管轄の研究所内の図書館に非常勤として働いています。今年で5年目になります。
フリーターズフリーに関わったきっかけは、生田さんから声をかけてもらったというのが直接のきっかけです。その背景としましては大学院に通っていたんですが大学院の博士課程を中退したら仕事がなかったという現実があります。大学院を出て研究者というレールから外れると仕事がない。そして仕事経験は事務も含めてほとんどありませんでした。もう本当に焦りました。大学院を辞めた理由には修道女になりたいという動機もあったのですが、いろいろ考えた末に修道女になることもやめ、ともかく仕事をしようとしたらこの社会で何もできない自分に気づかされて。派遣社員という存在も2002年に勤め出してから知ったくらい無知でした。そんなときにフリーターについて書く集まりがあると生田さんから教えてもらったのをきっかけに「フリーターズフリー」に関わりだしました。
生田 当時、「派遣のお仕事」というメールマガジン出してたよね。(栗田注 『派遣のお手前』というメールマガジンでした)
栗田 派遣社員という働き方に理不尽さを感じる部分がありメールマガジンを2002年くらいに出していました。派遣社員同士でそれこそ「弱者が弱者をたたく」ような細かいイジメがあったり、二重派遣の構造に出くわしたり。そういうことを振り返るにつけ自分が大学院にいたときになにも考えていなかった、と痛感しました。
またフリーターとは一見違う話になるのですが、不登校経験があります。最初不登校をしていたことと、フリーターになったことは別に考えていて、それを敢えて結び付けて考えていなかったんです。でも、あらためてもう一度「結び付けて」考える必要があるかな、と。というのも、不登校経験時、その直後も含め当事者運動的な活動をしてこなかったんです。せいぜい『子ども達が語る登校拒否』(世織書房)に寄稿したくらいです。シューレの子ども達がやっていたようなことはしてこなかった。
「不登校は病気じゃない」ということがかつて不登校運動の中で言われていました。それは不登校をしたというただそれだけで「社会の落伍者」といったレッテルが張られてしまい、それに抗う言動をせざるを得なかったのが80〜90年代だったと思うんです。それこそ「どの子にも不登校は起こりうる」といった文部省(当時)の発言は、そのような背景に裏打ちされていたわけです。しかし、身も蓋もない話ですが、全員じゃないとしても、不登校をやっていた人がやっぱりこの社会に溶け込めない、溶け込めにくいという現実はあるんじゃないかと感じたんですね。それは溶け込めない人がいいとか悪いとかそういうことを言いたいわけではなく、実際ウツを抱えているという私自身もそうだし(苦笑)。不登校とニートをつなげて考えるという生田さんの発言がありましたが、私にとっては不登校がリハーサルでフリーターが本番かなという感覚がありました。ただ、今のような発言は不登校業界のなかでは語ってはいけなかったのではないかとも思います。というのも、そんなことをいってしまうと結局「不登校は社会的落伍者」というかつてのレッテルを復活させるに等しい部分があるからです。しかし「落伍者」、いわば「ダメ」というもののなかに可能性を見出さなくてはいけないとおもっています。「ダメ」であって何故悪いのか、というそこからもう一度社会というものを問わざるを得ない状況に来ている。社会正義という側面から不登校にアプローチするのも重要ですが、同時に学校に「行けなかった」、または仕事が「できない」ということを直視する必要があるのではないかと。不登校にまつわる言説の中で例えば「不登校は精神病じゃない」と言わざるを得なかった時期があったけれど、精神病であってもしかたがないといったら語弊がありますが、精神病であっても生きていくというところから不登校のことも捉え直していく時期なのかと思うんですね。ひとつには不登校経験者の多くはもう年も30は超えていて、不登校というものを「学校」という言葉だけでは括れない世代が出てきている。却って本気で、不登校が投げかけた問題を当事者であった者が問い直せる時期なのではないかという気がするんです。
私は今回の対談をとても楽しみにしていました。というのも、現状の不登校というのはどういうことになるのか。さきほど梶屋さんがおっしゃったように日雇いの仕事をしているのか……。
梶屋 中にはそういう方もいるかもしれませんね。
●お母さんになればやっぱり「あがり」?
栗田 あと、もうひとつ女性という視点に拘っています。不登校と女性という視点を結び付けて考え出したきっかけはある『不登校新聞』の記事でした。その記事は不登校をしていた子達が大きくなって、女の子3人で対談をしているというものです。3人とも「お母さんになれた」というのを喜んで語っているんです。
生田 それはいつくらい?
栗田 98年とか99年くらいとかだとおもうんですけど。「お母さんになれば完成なのか」という疑問をとても受けたんです。腰を抜かすほど驚いたというか。そんなふうな括りで、つまり社会に帰れてめでたしめでたしという、シンデレラみたいなストーリーになっている。
生田 いわば、すごろくの「あがり」なんだ。
栗田 そう。すごろくのあがりになっていて、これじゃあいけないと直感的に思ったんですね。フリーター問題も大学卒の男の人が時給800円、900円で働くようになったから問題視されてきたんじゃないか、とはいろいろな人が言っていますけれど、女性におけるフリーター問題とか不登校の問題も語られる必要があるんじゃないか、と。そうこうしているうちに、関西のsouiや貴戸理恵さんなど、不登校のこともそういう文脈で語ろうとされている気配もあるようですが。不登校業界においてもフェミニズムの視点を導入する必要はあるかと感じました。
山下 学校に行っていなかったのはいつくらいですか?
栗田 中学校のときも行ったり行かなかったりでしたが、本格的に高校のときに行けなくなって辞めてしまった。義務教育ではなかったので辞めれば逃げられるという点では、義務教育時の不登校よりも楽な部分はあったかとおもいます。さらに私は近所に幸いにも通信制の高校があり、そこに入りそこではなんの悩みもなく卒業してしまいました。通信制が合わなくて辞めかけたり、実際に辞めたという人もいるというのをあとから知りました。私が学校に行かなくなったのは89年から90年くらいで、まだ「不登校」ではなく「登校拒否」という言葉がメジャーでした。文部省(当時)の「不登校は誰でもおこりうる」という発言の前だったんですね。
生田 文部省の発言はいつくらいでしたっけ?
山下 92年ですね。
栗田 この本(当日『子ども達が語る登校拒否』を持ってきていた)が出たのがそのあとくらいなんですね。
山下 93年くらいですね。シリーズで「親たちが語る……」というのもありますね。
栗田 『子ども達が語る……』と『若者達が語る……』は持っているんですが『親達が語る……』だけは持っていなくて(苦笑)。
山下 親たちはけっこう語ってましたからね。
栗田 親自身はやっぱりある程度社会に馴染んでいる人じゃないですか、親になっている事実から想定するに。「社会を変える」というか「子ども」を通じて社会をどうにかするという視点はあると思うのですが、あの赤ちゃんを抱いている不登校新聞の記事を疑問なく出すセンスのなかに、どこか親のメンタリティが出てきているような気がして。
不登校の問題はどうしても親とセットで語られるというか、また「親の会」が中心で活動されてきた歴史がありますよね。でもそこを脱出せざるをえない時期が来ている。「不登校」が投げかけた問題を当事者が捉えなおすには、ある程度大人にならないと難しい、というか率直に子どものときには「捉えなおせない」部分があることを認める必要がある。なぜならそれこそ「子ども」だから、まだ自分の背景も、起きていることも分節化できないじゃないですか。少なくとも私には当時言葉がなかった。どのような社会問題にもある程度言えるのかもしれませんが、とりわけ不登校の場合は「子ども」だから、成長過程であって当事者がまさに言葉を得ていく時期なわけですよね。不登校を語れるようになるときは既に学齢期ではない、ということも十分ありうるといいますか。でもそうなると語っている人は不登校当事者ではないということになってしまう。
山下 栗田さんからの投げかけに応えないといけない部分がたくさんあるなと思ったんですが、まずは自己紹介を。私自身は不登校の経験はないんです。あえて近い体験と言えば、17歳ごろに、それまで当たり前にしていた価値観が崩れるようなことがあって、1年ほど、人とほとんど口をきかない時期がありました。親とも価値観があわない、それまで自分が歩んできたレールみたいなものが何だったのかわからなくなって、「浪人」している1年間は、予備校に行くふりをして、ミニシアターに行ったり、日がな公園で本を読んだりしてました。それでも大学は受験して合格したんですが、入学して最初の1週間くらいで辞めたいと思ったんです。新歓の時期の雰囲気が受けつけなくて……。それで、何をまちがったか新聞会というサークルに入ったんですね。
それで、大学新聞をきっかけに、あちこち社会問題に首を突っ込んでたんですが、そういうなかで、大学に保坂展人さんが講演会に来たことがきっかけで、不登校の問題に関わるようになりました。
東京シューレに取材に行ったとき、子どもたちに話を聞いていたら、それまで「なんで学校に行きたくない子どもたちがいるのか」と思っていたのが、話を聞けば聞くほど、「なんで自分は学校に行っていたんだろう」と、問いが反転されてしまった。これは、私にとっては衝撃でした。子どもが学校に行かなくなると、周囲は、まず決まって「なんで行かないの?」と聞きますが、その人に「じゃあ、なぜあなたは学校行っていたんですか?」と聞くと、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔になってしまう(笑)。私も、そのひとりでした。
その後、シューレにボランティアとして関わりはじめて、結局は大学を中退してスタッフになりました。そのとき、親に「東京シューレという不登校の子どもたちが通っているところで働く」と話したら、「なんだそれは。オウム真理教か!?」と(笑)。ちょうど事件で騒いでたころだったんだと思いますが、親はそういう反応でした。世間一般の目も、まだまだそれに近いところがあったように思います。
その後、98年に『不登校新聞』を創刊することになりました。当事者発のメディアをつくろうという話が持ち上がって、学生新聞の経験があるからという理由で(?)私が編集をすることになって、創刊当初から2006年まで編集長をやってました。
『不登校新聞』は2004年に『Fonte』と改題、リニューアルしたんですが、それは「ひきこもり」や「ニート」の問題も視野に入れたかったからでした。子どもと学校の関係だけじゃなくて、若者と社会の関係も考えたい、と。しかし、かえって何をテーマとした新聞かわからなくなって、部数は減ってしまいました(苦笑)。問題意識はあっても、それをクリアに語ることができていないということもあったと思います。
そういう問題意識から、実際に若者世代といっしょに考えていく場をつくりたいと、2006年の秋からコムニタス・フォロという居場所を大阪で始めました。
栗田 それでは今は『Fonte』の編集長ではないんですか?
山下 編集長は若い人に引き継いでもらいました。いまは事務局長をやっていますが、無給です。私はいま34歳ですが、フリースクールのスタッフや不登校新聞の仕事をフルタイムでやってきて、安い給料ですけど生活してくることができました。それはラッキーなことだったと思うんですが、去年からは有給スタッフではなくなって、現在はパン屋さんでアルバイトもしています。なので、めでたくフリーターの仲間に入りました(笑)。
栗田 生田さんとも話していたんですけど、不登校がメディアで取り上げられなくなってきている気がする他方で、ほんとうに学校に行っていない子が今苦しさを感じていないのか、というところをお聞きしたいです。苦しくなければいいのですが……。それこそ学校に行かなくても、朝起きて、人と話して、近所で歩くのも苦痛じゃないという生活ができるのかどうかですよね。私には子どもがいないし、子どもと出会う機会もないのでなかなかそこがわからない。私の経験したような苦しみが今もまだ存在しているか否かが「オルタナティブ」な教育が存在しているかどうかの証拠である気がして。もしあの苦しみが子ども達の中に存在しているようであれば単純に不登校問題は終わっていないのだろうと思うんですね。
●現代は不安が軸となっている社会
山下 栗田さんがおっしゃっていたように、不登校の当事者運動のなかで、「不登校は病気じゃない」とか「学校に行かなくても社会でやっていけるんだ」と語られてきた面がありますね。それは不登校が決定的な落伍とみなされる社会のなかで、そう言わざるを得なかったんだと私も思います。さっきの記事(お母さん座談会)の話にしても、批判は受けとめますが、かつては「不登校したら結婚できない」と言われていたわけです。いわばアンチの言説が必要だったのかもしれないと思います。
そういう状況のなかで学校に行かないということは、いわば「激痛」だったと思うんですね。ちょっと長い歴史スパンから見れば、すごく特殊な時代だったんだろうと思いますが、少なくとも70〜80年代、学校の外は「死」だったわけです。世界がそこにしかない。それは生田さんがクリアに指摘されているように、男性にとって社会=会社で、女性にとっては家庭、子どもにとっては学校だった。そのような時代に学校に行かないというのは、ほんとうに生き死にを賭けたものだったと思います。しかし逆説的に言えば、生死を問うほど根本的な問いかけに、親も本人も直面していたとも言えるように思います。
いま、いろいろ考えなおさないといけないことがあると思うんですが、まず、時代状況のちがいを考えてみると、かつては、〈いい学校→いい会社〉というストーリーをみんなが信じきっていたと思うんですね。ところがいまは、学校も会社も、そんなに揺るぎない存在ではなくなっている。親自身がそんなに安定して働けていなかったり、不安もすごく大きいように思います。
もっと言えば、社会全体が上昇ムードだった時代は、自分がガンバることが社会を良くすることで、発展していくという求心力があったと思うんです。いわば希望を求心力としていた。いまは、ガンバるほど環境を破壊するし、不要なものをたくさんつくっているし、何のためにガンバっているのか、よくわからないでしょう? ドンづまりのなかで、足下を崩すしかなくなって、ものすごく不安定な状況を生みだしているように思います。すると、かつてのように学校は絶対的ではなくなっているけれども、じゃあ学校に行かなくても不安じゃないかといえば、そんなことはない。学校に行ってても不安だし、行かなくても不安。どうなるかわからないから、しがみつくものとして学校がある。そんな感じじゃないかと思うんですね。つまり、不安を求心軸にしている。
こういう状況になると、これまた逆説的ですが、学校に行かないことが価値観の問い直しにならないんですね。ある意味では、昔のほうが痛烈に突きつけられたわけです。子どもの生命と向き合うなかで、親は自分の価値観を根本から問い直された。ところがいまは、親自身も〈いい学校→いい会社〉というストーリーを信じ切れていないし、不登校が価値観の問い直しにもならない。子どもからすると、真綿で首を絞められているような感じもあるんじゃないかなと思います。
栗田 ぬるい……。
山下 そうとも言えるでしょうね。学校に行ってても不安、行かなくても不安、子どもたちの不安というのは底なしに深くなっていて、すごく苦しくなってきている。それは不登校の場合だけじゃなく、子ども全体に言えるんじゃないでしょうか。
たとえば大学生が専門学校に行ったりするじゃないですか。それは、大卒という資格だけでは不安なんだと思うんですね。かつては学校に行ってさえいればよかった。アイデンティティもそこで確保された面があると思うんですが、今は学歴だけじゃ会社も評価してくれない。一生懸命「自分」をアピールしないといけなくて、資格をやたらにとったりしている。そして、それは一直線に学校に行かなくてもできることでもありますね。不登校経験者のなかにも、そういう人はいるわけです。そして、当事者運動のなかでも、そういうエピソードが語られてきた面はある。無理に小・中学校に行かなくても、ちゃんとやっていけるんだ、と。
栗田 だから「エリート」だと言われてきた時期もありますよね。学校に行かなくとも、知識や、教養もあるといった子ども達が出てきたものだから……。
生田 シューレなどもそう言われてた時期がありましたね。
栗田 でも改めて思うのは不登校の子どもを持つ家庭で、夫婦が不和になったとか、離婚されたとかあるじゃないですか。
山下 ありますね。
栗田 なんでこんな闇の歴史もあるのに、赤ちゃん抱えて写真を撮るというものを出すのかが不思議だったんですが……。さらに家庭で夫婦が不和になった場合、お母さんのほうが子どもを受け止めた、ないし受け止めざるを得なくなったということが多い気がします。会社に勤めつづけるお父さんのほうが子どもと妻の価値観についていけない、みたいになって家族がばらばらになる。それくらい実は不登校って家庭の価値観まで崩すものもあったというのに。
山下 子どもの不登校が、家族の関係を問い直す起爆剤みたいになってきた面はあるでしょうね。とくに父親がなかなかわかってくれないという話は多くて、そういうなかで、家族関係が鋭く問われてしまう面はあったと思います。
栗田 その流れというのはどこにいってしまったんですかね? 不登校が起爆剤じゃなくなったというのも同じように、そういう問いも小さくなってしまったというか、むしろ学校に行かなくても(社会でうまくやれる)カードがいっぱい持ちうるといったそういうイメージを作っていったほうが社会にうまく乗れる・・・不登校新聞も有名人が掲載されているし(笑)。
子どもの頃に不登校のことを発言すると違うものに回収されそうで怖いといつも思っていました。個人として発言し、社会を変革するものというよりも、親をはじめとした大人と抱きかかえで捉えられてしまう恐怖といいますか。コムニタス・フォロでの若者とのかかわりから、起爆剤の頃の力が生まれてくればいいと思ってしまうのですが。
山下 『不登校新聞』も含めて、当事者運動のなかで「学校に行かなくても社会でやっていける」という言説を語ってきたことで、問いを見えにくくさせてしまった面はあると思っています。それは、たとえば「小学校は行けなかったけど中学校には行ける」とか、「中学校は行けなかったけど高校は行ける」とか言うのと、あんまり変わらないわけですね。つまり、ある一時期は「ダメ」だったけれども、その後は大丈夫というロジックになる。しかし、そう言ってしまうと、社会のあり方は問われなくなってしまう。ひきこもりとかニートという現象は、社会のあり方を問うているわけで、そこが一番問い直さなければいけない点でしょうね。
栗田 ニュースタートの利用者はやはり20代が多いんですかね?
梶屋 そうですね。20代が一番多いのかな。30歳前後が多い気もしますが。
栗田 不登校からさらに引きこもりを経験している方が多いということはありますか?
梶屋 そうですね。正確な数はわからないんですが、不登校経験者は多いんじゃないですかね。何年か前まで大学不登校の問題を熱心にやっていたみたいですし。
山下 そう括るなら、僕も大学の不登校ですかね(笑)。
梶屋 大学の不登校なんて昔からいっぱいいたわけですが。
やっぱり大学に入って求められる勉強のスタンスはそれまでとは違うじゃないですか。高校まで過剰適応してしまった人たちが、大学という今までとはある意味違った社会性が求められる場所に入ったときに挫折するというのがあると思うんですよね。それで引きこもりになるという人たちが一定数いる。そういう人たちがニュースタートに来て運動の軸をつくっていた時代があった。
●「ダメなまんまでいいじゃないか」
山下 私自身は、ひきこもりや不登校という状態を否定的に捉えないというスタンスをとっています。さきほど、栗田さんから「ダメなまんまでいいじゃないか」という意見があって、私もまったく同感なんですが、しかし、その「ダメ」というのは、どこから見て「ダメ」なのかという問題もあると思います。
たとえば「病気」だって、相関的に引き起こされるものですよね。かつて、児童精神科医の渡辺位(わたなべ・たかし)さんは、不登校という現象について「腐ったものを食べれば下痢をする」という比喩で話されていました。下痢になると、症状だけを見てしまうけれども、腐ったものを食べて下痢をするのは健康だからなんだと。もし、腐ったものを食べて下痢をしなかったら、そのほうが問題なわけです。それは、「症状」を治すことばかりにとらわれるのではなくて、その「症状」を生み出す関係を見ないといけないということですね。
子どもが学校に行けないとか、若者が仕事ができないっていうとき、多くの場合、その人の中に問題を求めてしまいますよね。そのとき、学校や職場のあり方、社会状況のほうは問われない。そもそも学校って何なのかとか、労働って何なのかということを考えていくと、こういう状況に違和感を覚えるのは健康だとも言えるわけです。
そう考えると、たとえば「就労支援」と言ったとき、じゃあその就労先のあり方はどうなのよ、と。そこを問わないで、ただ賃金を稼げるようにしたらいいのかって思うわけです。「ひきこもり支援」にしても、ただ家から出せばいいのか、と。そのあたりのことを、ニュースタートで活動している梶屋さんがどう考えておられるか、お聴きしたいんですが……。
梶屋 ニュースタートは引きこもり・ニート支援業界の中でも、比較的「そのままでいいんだ」という立場を取る団体ですが、代表も含め、スタッフも迷いながらやっている部分はあります。最近では卒寮が近い人に対してマナー研修を始めるなど、今までに行っていなかった取組も出てきていますしね。
また、活動する上での考え方に「人間は誰もが障害者だ」というのがあります。誰かしら人より劣っているところがあるんだから、自分に劣っているところがあっても気にすんなっていうことだとかってに思ってるんですけど。「ダメ」をなくすんじゃなくて受け入れるという姿勢がそこにあるんだと思います。
個人的にはニュースタートを卒業した後の環境を問い直さないといけないという気持ちがあります。せっかく引きこもりやニートから脱しても、その先には過酷な労働環境しか待ち合わせていないなら、何のために外に出てきたかわからないですよね。
以前、ニュースタートのホームページかどこかに、引きこもりというのは本人の問題でも親の問題でもなくて、社会の問題だということが書かれてまして、それを見てひどく納得したことが、私が活動を始めたきっかけなんですが、これはいまだにその通りだなと思います。引きこもりやニートという現象は現代の社会構造に起因する問題だと。
山下 社会構造の問題だという認識について、もう少し具体的に聞きたいんですが。
梶屋 私は一番大きな問題が労働環境の悪化だと思います。金銭的に自立しきれないような賃金の労働が広まりすぎているというのがありますし、仕事自体も、昔はやりがいを持てる仕事がいろいろあったと思うんですけども、どんどん減ってきているように思います。例えば、初めは先輩が厳しく仕事を教えながらもちゃんと気持ちをしっかりつかんでくれて、育ててくれるような会社だとか。どんどん労働が細分化されて、工夫の余地もなくて、同じことをずっと繰り返すような仕事なのでスキルが身につかない。その上、アルバイトであれば賃金の増加も見込めないとなれば、働くことに向上心を持つのが難しい。働いていない機関が長期化すると、そういった仕事の中から選ばざるを得ない。
何年か前NHKの『フリーター漂流』の中にあった話だと思うんですが、北国の男性が偽装請負の工場に行って仕事を辞めて帰って来てしまう。帰ってきたその男性に対して父親が「じっくりと我慢して働くべきだ」といったようなことを言うわけですよ。この場面は現代の若者が置かれている状況の象徴的なものだと思うんですよね。特に地方で日々忙しく仕事をしている親世代に、最近の若者を取り巻く労働環境の実態がわからなくてもおかしくない。そういった視野でニートやフリーターに仕事を辞めずに我慢しろと迫ったところでどうにもならない。
若い世代はリアリティとしてそういうのを持っている。何かおかしいなという思いは持っているけど、それがどこに問題があるのかがわからない。わからないけど、そういう状況になっちゃっている。さっき言葉を持たないっていう話がありましたけど、私も大学生のときに日雇派遣の仕事を少しやっていました。日雇の仕事ってしんどさがこのくらいで、もらえるお金はこんなもんなんだろうなと。これがあたり前なんだろうなというふうに思っちゃうわけですよね。経験として昔と比較できないから言葉を持てないんですよ。それで去年あたり、労働組合の人たちと話をしていると、それが実はムチャクチャ悪い状況だったことがわかった(笑)。昔の方が水準が高かったと言われるわけです。
生田 このあいだ、(「釜ヶ崎パトロールの会」で活動している)中桐君と話したんだけど、日雇派遣については、「日雇派遣というもの自体がおかしい。日雇派遣そのものを法的になくして、みんなを常勤にすべきだ。登録制ではなく、常勤にすべきだと」という話が最近あるじゃないですか。あれ生田さんどう思いますかと聞かれたので、「日雇い自体は悪くないでしょう」と言いました。日雇の仕事は、釜ヶ崎の日雇も日雇派遣の仕事も、労働条件が悪すぎるのとセーフティネットがなさすぎるのが問題だ。不安定就労自体じたいは悪いと思いません」って言ったら、彼も「ぼくもそうなんですよ」って言ってました。従来の仕事の仕方に抵抗がある若者も、日雇派遣なら行けることもあるし、あれはあった方がいいですねって話をしてて、そこは一致しました。
従来の雇用体系が破壊されて、一方ではムチャクチャ働かされる正社員がいて、一方では使い棄てされる、日雇派遣が代表にされる不安定就労の人いる。けども、「不安定就労で細切れだから悪い」と、全員がもとのような正社員の形になればいいってものでもないと思うんですよ。
あと、多分ひきこもりの人たちも、自分の父親見て仕事像をとらえていると思うんです。例えば、うちの父親って川崎製鉄なんですけど、3交代制でした。朝仕事行くのが一週間、昼から仕事行くのが一週間、夜勤一週間やってた。ぼくは小さい時から見てたから当たり前と思ってたけど、考えてみればとんでもない仕事だよね。よくあんなことしてたなあと今は思うんだけど。なので、不安定就労が増えたことが問題だから元の形に戻せばいいっていうものでもないと思うんですよ。新たな形を求めないと、ということです。
梶屋 全部の仕事が常勤であるべきだというのは無理がありますし、私も日雇の仕事自体が悪いとは思っていません。日雇の仕事が供給されるあり方に問題があるわけです。今もありますけど、昔であれば釜ヶ崎や山谷などにある日雇職安が仕事を出して、手配師のピンハネもそこまで大きくなかった。それを派遣という形で合法的に3から4割もピンハネする企業ができてしまっていることが問題だと思っています。各地で行政や労働組合がピンハネのない形で日雇いの仕事を供給できるようにすれば、意味があると思いますよ。
栗田 働き方の多様性という問題でいえば、フリーターズフリー内では、主婦の立場の人が、家庭との両立という状況から始めた「ワーカーズコレクティブ」という働き方に注目しています。主婦のワーカーズコレクティブにはいろいろな賛否両論があって、支える夫がいるからワーカーズコレクティブ的な働き方ができると言う批判ももちろんあります。確かに今の社会制度のなかで至らないところをヘンに補完してあげるような状況はすごくイヤなんだけども、ただワーカーズコレクティブ的なものをもう一回考え直す必要はある。ただし、今は行政も協指定管理者制度などもあわせてワーコレみたいなものを導入しようとしているわけですし。そういう組み込まれちゃうような動きがあるけれども、オルタナティブな労働を必要としている側面は確かにある。しかしそれが国家や企業の下請けとなるのが一番悔しいのですが。
●「不登校」問題から「ひきこもり」問題へ
生田 それで言えば、オルタな教育の場っていうのは今どうなんでしょう。フリースクールはいっぱいできてきたとはいえ、どの程度子どもにとって居場所になってるんだろう?
山下 この20年ほどのあいだに数が増えたのはたしかですが、不登校の数から言えば、ないに等しいとも言えます。しかも都市部に集中してるし、それぞれの規模も小さい。シュタイナー学園や東京シューレ葛飾中学校のように、構造改革特区のなかで学校法人として認可されたところもありますが、フリースクールの全体状況からすれば、例外的とも言えます。全国的に見たら、むしろ、どこも厳しい状況にある。
それはなぜなのかと言えば、先ほど申し上げたような状況のなかで、不登校というだけでは価値観の問い直しにならなくなったからだと、私は考えています。学校に行かないということだけでは、社会を相対化できるだけの磁場がないんです。学校に行かないほうが学校に行く子より社会で有用なんだというような、不登校エリート論みたいな幻想に乗っかって商売をすれば、事業的にはうまくいくかもしれませんが、運動としては死んでしまいますね。だから、本質的な問いは抱えたまま活動しているところは、すごく難しいところに来ているように思います。
生田 多分、いまひきこもり問題って、20年遅れぐらいで不登校の議論と同じ面を通過しているようなところがあるという気がするんですよ。
山下 そうですね、歴史は繰り返すという……。
栗田 不登校の経験者層が成長して、今度は引きこもりを世代の層として形成しているという部分はあるのかな。
生田 最近、86年に出た(注、87年でした)河合隼雄の『子どもの宇宙』って本を読み返してたんだけど、そこでは「登校拒否」(症)って言葉がまだ生きている。
河合隼雄が言ってるのは、「登校拒否の場合、母子分離の問題がかかわっていることが多いのは、よく指摘されているところである」。それはまあ、ある意味正しいんです。でも、それって不登校じゃない多くの子どもにもあてはまるだろうって。
山下 そもそも、不登校がなぜ問題化したのかということがありますよね。学校に行かないことが問題になったのは、みんなが学校に行くようになった時代状況の中から生じたわけです。そのとき、アメリカの精神医学からの輸入で、「学校恐怖症」という診断名がついた。この「学校恐怖症」が「登校拒否症」と言われたりしたわけですが、いずれにしても病名です。そして、この「病気」の原因として母子分離不安があげられていたんですね。不登校は、そもそもが病理現象として問題化されたわけです。
生田 変わった子たちについて何が原因か追及するという姿勢があったと思うんです。あと書いてあったのは、登校拒否の子どもが犬を飼ってることについて「登校拒否症と犬」という章で「実際、登校拒否の子で犬をかわいがる子は多い」と書いている。いろんなことが言われてるんですよ。明らかにいま読んだら笑っちゃうんだけど、ただそれは、いまひきこもりの人について同じようなことになっている。ひきこもりについても、やれ母子密着だとか、長男だからどうだとか、どういう問題があったとか、よく言われますから。時代は繰り返してるなってことなんですよ。
さっき言った不登校エリート論じゃないけど、80年代か90年代初めに、教師の研究集会に不登校の子どもたちが来ている中で、教師の一人が「不登校の子たちには非常に感性の鋭い子が多い」って言ってたんですよ。すると、子どもの一人がたまりかねたという風に立ち上がって、「そういうふうに持ち上げられたり特殊な子どもみたいに言われるのがすごいいやなんです」とビシッと言ったら、会場がシーンとしちゃうということがありました。
いまでも、ひきこもりこそ社会を鋭敏に映すとかいう言い方もあるじゃないですか。それもやっぱり、かつて不登校について言われてたことを繰り返しているなという印象があります。つまり、不登校は単に当たり前の話だし、(旧)文部省が言うように誰がなってもおかしくないものだ。むしろ学校というものの存在自体を問うべきなのに、不登校の子どもの方を問うということになってたじゃないですか。
もちろん、家庭に問題がある小学生もいたと思うし、動物の関係がいろいろあった子もいるかもしれない。でも、そんなの関係ない話で、日本の社会の中で学校というものが一体何だったのかということが問われ始めた時期だったと思うんです。そういう意味で、ひきこもりの問題も、一つは日本の社会にとって労働とはどういうものだったのかということ、それから特に「会社」ってものが日本の社会にとってどういうものだったのかということがいま問われていると思う。ひきこもりについては「家族」問題や「人間関係」問題ばかりが語られがちですが、『ひきこもりカレンダー』の勝山さんにしても『「ひきこもり」だった僕から』の上山さんも「労働」問題とひきこもりの問題の関係について力を込めて語っていたわけです。その意味で、栗田さんがいった「ちがう働き方」をどう作るかということがあると思うんだけど。
●不登校の親たち
栗田 家族について考える際に、生田武志さんの「フリーター・ニート・ホームレス」のなかのNFOという概念に注目したいんです。国家の代わりにNGOがあり、企業の代わりにNPOがあるならば、家族の代わりにNFO(Non-Family-Orgnization)があってもいいはずだという発想ですね。新たな働き方、新たな家族というものは地続きだと思うんです。さっき母子密着という話がありましたけど、不登校であろうとなかろうと母子密着であるのはおっしゃる通りというのか。それこそ「青い芝の会」の「母よ殺すな」じゃないですけど、親の「愛」を悪いけど蹴飛ばさなきゃいけないところがあると思う。それはつまり不登校業界での「親の会」にたいしても突きつけないといけないところがあって。1999年に松江での全国不登校集会に参加した際に、お母さんたちが元気でものすごくびっくりしたんです。私はでも、それがストレートにいいと思えなかったんです。印象としては完全に不登校の問題が自分の問題になってしまい、その結果そこで生き生きしちゃうという。
生田 それは自分の子どもを通して社会問題に関わるぞ、みたいな感じ?
栗田 そう、そういう感じ。それはどういうことなのかと。もうひとつ越えるものがあるんじゃないかと。
生田 生きがいをみつけたんだ。やっぱり子どもが生きがいの元なんだ。
栗田 女の人が何はともあれ生き生きする姿を見るのは私は好きで、だからこそ考え込んでしまった。つまりそういう子どもを通したことだけが「生き生き」することなのだとしたら、それこそ辛い。
不登校が苦しくなくなるとしたら、それこそ家庭をめぐる社会環境の変化が必要なんですよね。労働のあり方を問われれば、家庭も問われざるをえないじゃないですか。お父さんがバリバリ働かなくなれば、お母さんの身の処し方だってかわる。「お父さん」「お母さん」という概念すら変わるかもしれない。子どもが不登校したら離婚する家がかなりあったという事実。それはもっと語られてもよかったはずのものなのにあまり語られなかったのはなぜなのか、と。やはりそういう話は危険なのかもしれませんね。
生田 さっき栗田さんが言った、子どもを抱えて「すごろくのあがり」になってるという話なんだけど、少女マンガで『ホットロード』という、80年代に膨大な数の少女に支持されたマンガがあって、そのラストが彼氏の名前を出して「ハルヤマの赤ちゃんのお母さんになりたい」という終わりなんですよ。
お母さんとの関係があって暴走族とかに入っちゃうんだけど、最後はお母さんと和解する。そして、つきあってた暴走族の彼氏が重傷を負うんだけどなんとか助かって、最後は二人で生きていくって話なんですが、最後は「ハルヤマの赤ちゃんのお母さんになりたい」とまとめてる。
あの「お母さんになりたい」っていうのも相当支持されんだろうんな、あれで感動して「お母さん」になってる女の子もいたのかなと思うんですよ。
栗田 母親と対立することと、自分が今度は母親になるってことはセットになるんだ……。
生田 「母になる」というオチは一種の神話だと思うんですけど、神話はやっぱり生きてるんです。
あと、わきにそれるかもしれないけど、結婚と子どもを生むことって本当はちょっと意味がちがうじゃないですか。ところが、どうもセットになることが多いみたい。
小倉千加子かが言ってたんだけど(違う人か?)、友だちの女性が結婚するとき、大体悩む。仕事の問題もあるし、自分の人生計画もあるし。ものすごく悩んで、それについて相談に乗るんだけど、その人がいったん結婚すると、今度はストレートに産める人は子どもを産むらしい。で、気になって、「なんで子どもを産んだの、悩まなかった?」て聞いたら、「子どもを産むのは「当たり前」だと思ってました」と言われたって。その意味では、「お母さんになる」っていうのが当然なんです。でもそれは、親が「子どもを生きがいにする」構造とどこかでつながっているのかもしれない。
栗田 私は昔、不登校とか家出をしたときに、いわゆる「母原病」といわれたそうです。つまり母親が原因であると。そのとき私は母と不和だったんで、そう言われたことに対して同情する気持ちは感じなかったんですけど、考えれば相当失礼な話で、学校に行ってる子どもの母は逆にそんなにまともかと。
●近代の中の家族・会社・学校
山下 すごくおおざっぱな捉え方をしてしまえば、近代化の問題ですよね。近代以前の社会では、〈働く〉と〈生活〉と〈学ぶ〉はいっしょですね。男も女も働いていたわけだし、役割分担はあったとしても、家事と労働の区別はない。子どもが学ぶことも、学校で学ぶわけじゃなくて、暮らしをともにするなかで働きながら学んでいたわけです。近代社会は、そういう共同体を壊さないと成り立たない。そこで、まずは子どもを学校に隔離するところから始めたわけです。
学校制度が始まった当初は、学校が焼き討ちにされたり、反対もすごいですよね。それは、自分たちの社会が壊されることをよくわかっていたからじゃないかと思うんです。当時は義務教育でも有料だし、働き手を奪われるし、学校に行ったら稼業を継ぎたくないというし、親にとって、いいことがまるでない。ところが、学歴という価値をゲットすれば、それと引き換えにサラリーマンになれるということになって、みんなが学校に行くようになった。古い共同体はどんどん壊されて、〈働く〉=男性、〈生活〉=女性、〈学ぶ〉=子どもと分離してしまった。
家庭という領域は私的な領域だと思われていたけれども、フェミニズムが指摘してきたように、実はそれは社会構造の中で作られた領域だった。そういう社会構造のなかで、女性が置かれた位置、子どもが置かれた位置を問い直す必要があるんだと思います。そういう視点から学校をとらえ直す作業は、あまりなかったんじゃないでしょうか。
フェミニズムは、それまで「自然」だと思われていた性的なあり方が社会的に構築されていることを明らかにしましたが、学校に行くことも、「自然」なことだと思われてきたけれども、ごく短い歴史のなかで作られてきたものでしかない。学校によって、人格みたいなものが構築されてますよね。学歴によって尊敬の念でみられちゃったり、逆に軽んじられたりする。自分個人の意識としていかに学歴から自由であろうとしたって、自由になれないですね。学校は、すごく深く社会に組み込まれている。
栗田 毎年一回開かれる「寄せ場交流会」というものがあります。それは日雇労働者の人とか、活動家、ボランティア等々様々な立場の人が参加する集会です。そこでの分科会のひとつに「非正規雇用について」というものがありました。そこで妻木進吾さんという方が、フリーターの階層的な問題を扱っていたんです。その内容を一言で言えばフリーター問題は大卒がフリーターになったから問題視された、と。しかし現実にフリーター的な仕事を担ってきたのはいわゆる低学歴、低収入の家庭の子ども達だったということを統計的な資料を使って発表していました。それは不登校にもいえる気がするんです。つまり学校に行かない「ヤンキー」と呼ばれたような子は学校に行かなくても不登校のような「問題」とはされない。学校に行かず、低賃金の労働に就いたとしてもそれがあたかも「当たり前」だとみなされる階層があるという話です。逆に「不登校」をすることで注目される子ども達というのは、いわゆる「学校に行かなくてもいい」とはみなされない階層の人たちだったんだと思うんです。それは言い換えれば、お父さんは企業に入り、お母さんは家庭に入り、そこで通常に学校に行くべきとされる「子ども」、すなわちその成功の実りに預かるべき「子ども」があたかも自家中毒を起こしたような状況が「不登校」だったのではないかな、と。それはほんとうにまさかそんなことが起こるとは誰も思ってなかった。だってみんな「よかれ」とおもってしてきたことなんだから。
山下 まさか、ですよね。
栗田 まさかのことだった。制度そのものとしては一番いいと思われた制度だったわけじゃないですか。それにこんな落とし穴があるなんて、想像してなかったと思うんですよね。
生田 その問題が出てきたのは1975年頃なんでしょうね。不登校が一直線にこのころから増えて、専業主婦の比率が下がり始め、あと不安定雇用がやはり75年から増えてくる。
栗田 私はそこがすごくおもしろいと思ってて。特に高度成長期にはこれでいけると思ったものにこんな落とし穴があるなんて信じられない話でしょう。本当に不登校の原因を個人の精神的なものにしたかっただろうなって思います。個人の子どもの問題だというふうに思いたかっただろうと。良かれと思った制度を疑うなんてできなかったのでしょう。そこに「悪意」なんてなかったのだから。
生田 多分、それで結構うまく回ったてきたというのがあったんでしょう。国家が主導して、企業と学校が連携して、おまけに家族も巻き込んでシステムを作っていくというのはどこの近代国家でもやっていると思うんですけど、日本もその流れに乗って、なおかつ、かなり極端な方向に行ったと思うんですよ。国家と企業と学校、そして家族が有機的に、しかしかなりいびつな形で連携して高度経済成長期に作り上げたものが、ぼくの言葉では「学校=社会=私」「会社=社会=私」。あと家族については「母子関係=社会=私」という構造を作り上げて、それでまわってきた。そこにいる人たちはなんとなくそれで自然なものだと思いこんできた。でも、やっぱり75年ごろから綻びが出てきたっていうことじゃないか。
山下 働き方の話にもどると、この過密さは何なのかって思いますね。ぼくも大手チェーンのパン屋さん(Yパン系列)でバイトしていますが、あんな過密なことを、なんとかできちゃってる自分がイヤになる(笑)。こんなことはできないほうが当たり前じゃないかって思うほど過密なんですよ。あんなスピードで作業するなんて、人間のすることじゃないと思うけれども、そういうことを求められる。
チェーン店のパン屋さんで働いている人たちは、自前でパン屋さんをやってるのとちがって、自分に決定権がないじゃないですか。こういうパンを作ったらいいとか、お客さんの顔色見てこうしたらいいとか、そういう中で自分で判断するんじゃなくて、これだけの売り上げをあげろとか、この商品を作れとか細かく決められている。そういうなかで、どこに意味を見いだしてるのかなって思ったら、スピードなんですよ。フーコーじゃないですが、内面化した権力みたいなものがあって(笑)、勝手に自分たちで縛りあってる。しかも、どんどん加速していく……。
生田 わかるわかる(笑)。クロネコヤマトのクール宅急便に行ったとき、休憩時間なのに仕事をするヤツがいるんですよ、日雇派遣の仲間に。みんなブツブツ言ってるわけ。あんなヤツがいるからみんな休めなくなるんだよって。でも、どんな現場に行ってもそういう人が一人はいるんですよ。やんなくてもいいのに、何かやることが喜びになっちゃってる。
山下 ヒマなときには、別にゆっくりしたらいいじゃないですか。それなのに、1分でも手があくと、よけいな仕事を増やしたり、不要に細かいことを要求してきたり、本当に不毛だと思いますね。
あちこち、そんなことばかりでしょう。だから、大仰なようでも、オルタナティヴな働き方を考えたり、近代社会の労働ってのは何なのかっていう問い返しというのはすごく必要だなって思いますね。
●経済の貧困、関係の貧困
山下 それと一方で、私の問題意識として持っていることは、関係の貧困ということです。貧困問題でも、いまは経済的な貧困ばかりが語られていますが、片方に「関係の貧困」があるんだってことを、ぼくは問題意識として持ってるんです。たとえば、なぜ家族がたいへんかと言えば、働くことと学校に行くこと以外の社会参加の場がなくなったからだと思うんですよ。
生田・
栗田
そうですね。
山下 家族以外に、人がおたがいさまで生きられる場所がなくなってしまって、それは古い共同体の破壊とイコールだと思いますが、社会の関係が貧困化した結果、それを家族だけが支えるという構造になっているわけですよね。
栗田 だから、家の中しかいられないという。
生田 家族が閉じているわけですね。ニュースタートの言うこととは反対に。
山下 家族をひらくことは、とても必要なことだと思いますが、どうひらくか、ですよね。無理矢理こじ開けるわけにはいかないでしょう?
無理に外から働きかけたって、ひらかないでしょう。ですから私は、訪問活動もやり方によっては危ない面があると思います。社会全体の構造の中で私的な領域がつくられているわけですから、家族のみを問うのではなくて、なぜ家族が閉じられたのか、その力学をとらえ返さないといけない。そういう視点を抜きに家族の問題を語るのは、まちがいだと言い切っていいと思います。
栗田 言葉がないんですよ、みんな。家族って自分が育った家族しか具体的には知らないじゃないですか。ほんとうに家族が沼のようになって膠着して苦しんでいる人に伝える言葉もなかなかみつからない。なぜかってそれぞれ育ったところが違って、具体的に話そうとすればするほど食い違ってきそうだし。しかも家族で苦しんでいる人に限って、と言ったらすごい失礼かもしれないですけど、古典的というか近代的な理想の家族にしたいという思いも強い気がするんですね。不登校で苦しい要因のひとつが、学校に行かなきゃいけない。今ある既存の学校に自分が馴染まなきゃいけないと思いこんじゃうのと同じように……。
梶屋 さっき生田さんがおっしゃったように、労働観も親の仕事を見てるから、そうならない、できないオレはダメなんだっていう(笑)。自分自身に内面化しちゃって動けないっていうのは、怖いことだと思います。
山下 そうなると、過密な労働ができない人には家しか居場所がないということになっちゃうんですよ。それは、おかしな構造ですよね。人がいられる場所を働く場以外につくっていかないといけないんじゃないか。ぼくが若者の居場所みたいなものを始めたいと思ったのは、そういう問題意識でした。
ひきこもりにしても、家族の問題として語られることが多いですが、家族にしか居場所がないことがおかしいんです。厚生労働省のひきこもりの定義は、次のようなものです。
「さまざまな要因によって社会的な参加の場面がせばまり、就労や就学などの自宅以外での生活の場が長期にわたって失われている状態」
しかし、これは逆に捉えて、次のように定義すべきだと思うんです。
「さまざまな要因によって、就労や就学ばかりが社会参加となってしまった結果、社会が貧困化し、多くの若者が自宅以外での生活の場を長期にわたって奪われている状態」
こう定義すれば、ぼくはすんなり受けいれられるんです。
もちろん経済的な問題は大きいですよね。お金がないために活動範囲が狭まることもあるし、孤立しやすくなったり、家から出にくくなることもあると思います。「経済的貧困」が「関係的な貧困」をさらに悪化させてしまう面は、たしかにある。しかし、じゃあお金があればいいのかといえば、そういう問題でもないでしょう。おたがいさまの関係をお金の関係に置き換えることによって、かえって関係が貧困化してしまう面もあるわけです。
そもそもいまの社会のあり方は、おたがいさまでやってた社会関係を壊して、それを経済関係に置き換えることによって成り立ってきたわけですね。たとえばGDPって、お金になるものを増やすと増えるわけですよね。たとえば、家事労働を外注する。
栗田 アンペイドワークという概念が生きてきますね。
山下 アンペイドワークをペイドワークにしてお手伝いさんに入ってもらうとGDPは増えるし、悩みごとを友だちに話すんじゃなくてカウンセリングに行けばGDPは増える。どんどん商品関係に置き換わっていっちゃって、商品関係ばかりがふくらんでいる。そのことによって、自分たちの首を絞めているわけですよね。
栗田 生田さんがずっと関わっている路上生活者の、テント小屋にむしろコミュニティが存在しうる、豊かな関係があるという言説も出てきていますよね。クリエイティヴといいますか。
生田 あれも一種の幻想だと思うなあ。
栗田 幻想といえば幻想なんだろうけど、肝心なのは、逆にそこまでテント小屋に住んでいない人間の世界がギスギスしてるのかということが衝撃で。
生田 そうそう。
栗田 テントに夢を見ざるを得ない、何かを賭けたくなる私たちのありかたが問われるわけでしょう。
梶屋 それは感触としてはありますね。確かに。
生田 だってテントったっていろいろあるからね。いいとこばかりじゃない。
栗田 それはわかるのよ。むしろ私がああいう発言を聞いて衝撃を受けるのは、つまりテントに住んでいない私達がどれほど関係を持ってないんだっていう(笑)。
山下 カウンセリングブームの背景には、そこまで関係が貧困化しているということがありますよね。
生田 それでカウンセリング産業が発達して雇用が創出されるというおかしな問題もありますね。
それで、家族を開くっていう話で、梶屋さんにもまた聞きたいけど、確かに開かないといけないけど、家族だけを問題にするんじゃなくて、全体的な構造から考えるべきだっていう山下さんのお話は確かにそうだと思うんですよ。
例えば、女性のひきこもりの河合由美子さんがいたじゃないですか。『私をみつめて』っていう映画の。彼女が言ってたんだけど、父親との関係が特に複雑で、今までずっとガマンして、過食・拒食を繰り返してひきこもりをやってたんだけど、最後は父親と対決するんです。それは映画になってるんだけど。なぜ対決できたかというと、それはカメラが入っていたからなんです。第3者の眼が入っているから、それによって自分が相対化され、家族が開かれるわけですよ。それでなんとか突破していくんだけど、ただ、ひきこもり全員のところに行って映画を作るわけにはいかないんで、やはり例外的な方法です。でも個人的にそういう闘いをやりながら、なんとかもがいているわけで、それはすごい感動的なものです。
ニュースタートの言う「家族をひらく」っていうのはそれとはちがって、もっとシステム的にやられていて、外部の人が入って、レンタルお姉さんお兄さんみたいな形でいろんなアイデアを投入してやっていると思うんです。けれど、一方でいま山下さんが言ったように、家族だけを問題にしていてはいけない。労働問題や行政の問題も含めて、最終的なビジョンを作らないと思うんですけど、そのへんはどうなんでしょう。
梶屋 ビジョンって言うほど具体的なものはないと思います。けど、少しずれるかもしれませんが、一つ言えるのは、ルームシェア的な共同生活ですよね。単純に家賃が高いというのもありますけど。例えばニュースタートにある寮の中に6畳の部屋が20部屋ぐらいあって、共同のリビングがあるものがあるんですよ。共同のリビングに来れば毎日誰かがいて、何かしゃべれると。単身であればそういったものが一つのあり方としてあるのかなという気はします。
生田 家族じゃない生活の場って感じなのかな?
梶屋 そうですね。仲いい友達二人以上でルームシェアすれば、そういった仕事以外の関係性を持つ場になり得るし、必然的にコミュニケーションをとらなければいけない場になるわけですよね。家族の概念を婚姻的なもの以外に広めていくというようなことを模索するのはニュースタートの方向性にあるような気がします。
生田 ぼくはよくオランダモデルのワークシェアリングのことを言っているんですが、あれは仕事の分かち合いじゃないですか。居住の分かち合いという意味で、確かにルームシェアは意味がありますよね。
栗田 最近、居住についても考えます。住むだけにお金がかかるというのはどういうことかって常に思ってしまう。特に一人暮らしで東京で生きていると、ここに私が横になるだけのスペースの確保にどれだけ労力を必要とするんだろうとそれがすごい理不尽な感じがして。
生田 そうですね、ぼくも今夜どこかに泊まんないといけないだけど、なんで一晩泊まるだけに何千円もかかるんだろう(笑)
梶屋 去年の後半は、居住に関する学会や勉強会に首つっこんで、専門家の人たちの話を聞いたりもしていたんですが、やはり昔から都市計画とか建築の分野でもコミュニティを意識した取り組みがあるんですね。でも、コミュニティスペースをつくっても活用する人が限られたり、使われなかったりしてうまく機能させるのは難しいのが実態のようで。そういったものは意識的にやらないと、どうも個人化していく。やはり、人間はそういうものらしいですね。難しいなあ。
●労働の場を問わずに心の問題にしていた
生田 人民新聞で、フリーター労組とかのいろんな関係者が集まって話したんですけど、その中で、不安定就労の労働条件の厳しさと一緒に、議題の一つとして「生きづらさ」の問題があって、主に栗田さんが話しました。そこで、労働にすらたどりつけない人の問題が大きいんじゃないかって話があったんです。それは不登校もそうだし、引きこもりの問題もそうだと思うんだけど。
ぼくが話した一つは、若年ホームレス問題について時々言われることがあって、野宿を経験した若者が、やがてどこか会社に入るんだけども、続かない。3日くらい入ってやめる人もいる。そこで言われるのは、それは精神的に参っているからだということ。だから、なんらかの形で癒せるもの、ホッとできる場を作って、そこからもう一度会社などに行ける場をつくることが重要だということが言われている。それはそれで確かにそうだと思うんですが、それって半面、危うい面がある。それは、学校に行けないことについて、その子は心が傷ついているんだと、「心が強くなれば学校にも行ける」っていうのと似てる気がするんですよ。つまり、学校を問わずに、心の問題にしちゃってたわけじゃないですか。そういう面もあるかもしれないけど、それだけじゃないのではないか。もしかしたらその人は、ちょうど不登校の子が学校について感じているように、今のような会社の働き方とか日雇派遣の形の労働では自分はとても参加できないと思っているかもしれないじゃないですか。
山下 小沢牧子さんという、長年、心理学やカウンセリングを批判し続けている方がいらっしゃるんですが、小沢さんがカウンセリングの何を問題にしているかというと、社会構造や関係の問題を、個人の内面に振り替えさせる装置になっているということだと思うんです。カウンセリングに行くとクライアント個人の感情だけがとりだされて、問題を自分の内面の問題に矮小化させられてしまう。カウンセリングは、そういう技法なんだというんですね。しかも、それは確信犯的に、政治力学のなかで開発された技術のようなんですね。怒りというのは、本当は社会に目を向けさせるきっかけになるはずなのに、それを内面化させる役割をカウンセリングは果たしている、と。ですから、ぼくは小沢さんの影響もあって、心理主義に否定的なんです。
いちばん問題だと感じるのは、当事者が自分の問題としてしか考えられないようにし向けられていることですよね。不登校にしてもニートにしてもひきこもりにしてもフリーターにしても、こんな自分じゃダメなんじゃないか、と思わされている。ぼくが「ダメ」という言葉にひっかかったのは、そういうこともあります。
梶屋 いわゆる自己責任。
山下 そう、自己責任の問題になっちゃうんです。だから、自分個人の問題として捉えていることを、実はそれは構築された問題なんだ、つくられた問題なんだということに気づけるような、きっかけの場が必要なんだと思うんです。いまの社会とのズレからこそ、本当はひらける可能性があるはずじゃないですか。社会構造の問題を問わずに、そこにうまく乗っかるための支援なんて、私は意味がないと思います。
栗田 ウーマンリブでも、個人的なものは政治的なものだというとこから動いたという歴史もあるけれども、すごく社会って自分から遠いにところにあるって印象があるんですね。そもそも社会って、自分が入らなきゃならないものって思ってる。社会というものは、自分が既にいる場所が社会だという意識じゃなくて、社会は入らなきゃならないものって思ってるでしょう。社会人って言葉がそれをすごく痛切に表わしていると思うんですけど。
「社会」という概念の転換ってのは、語り口の問題にも関わってくると思っています。例えば運動家が苦労しながらも培ってきた用語においてすらも「社会」というものが自分とは遠いという印象を与えるというか。硬いというか、資本制打倒と呼ばれている問題は遠さを感じる(笑)。だから「社会」を語る語り口というのはもうちょっと工夫を要するのかなとこのあいだの人民新聞社の話でも思ったんです。女性は私以外誰もその座談会で話しをしなかったんですね。それが強烈でね。やっぱり語り口が違うんだなという話がその後女性たちの間でなされました。
生田 それについては忸怩(じくじ)たる思いがあります(笑)
栗田 社会問題を語るとどうしても硬い言葉ていうか、マスメディア的な言葉になっちゃったりするのが不登校のころから気がかりだったのね。不登校にしてもフリーターのことにしても私の訴えてることは社会的なものだということを理解するプロセスは結構大変で。そのプロセスについて少し掘り下げていけるような、そこにつきあえるような活動のあり方を考えたい。それはカウンセリングみたいなやつじゃなくて。一つある意味では教育的な…。
●賃労働を相対化して、労働と助け合いの場を作っていく
生田 「資本制打倒」もそうだけど、「闘うぞ」「やり返すぞ」って(笑)話では、「やられたらやり返せ」もそうなんだけど、「闘う」のも必要なんだけど、「作っていく」のも必要なんだと思うんですよ。闘ってばかりだったら、戦闘モードになっちゃって、仲間は「戦友」しかいない。「戦友」って、日本軍の戦友みたいなノリになってしまう。自分たちで何かを作っていくということも同時にやっていくのは必要だと思う。雨宮さんの『生きさせろ!』という本のタイトルはいいんだけど、「…させろ」じゃなくて、「…しよう」っていうのも両方いると思う。もちろん、『生きさせろ!』にはそういう「作る」方向にも触れていますが。
さっきの「働く場は会社しかない、居場所は家しかないというのはおかしい、他に何があるか」ということなんだけど、それを自分たちで作っていくことが必要かなと思うんですよ。働く場としての協同組合とか。これは貧困問題ともつながってくるんですけど、現状の貧困問題って、行政がセーフティネットをなしくずしにしていって、企業は企業福祉をどんどん切り崩していって、家族だけに押しつけている状態じゃないですか。本当にどうしようもないところに来ているんだけど、何ができるかっていうと、もちろんセーフティネットの回復は必要なんだけど、会社に「昔のような会社に戻ってくれ」と言うのも後ろ向きじゃないですか。正社員に雇えとかね。そうじゃなくて、むしろ賃労働はそこそこでいい。そのかわり、例えば自分たちで会社を作ったり、共同事業をやって、ある程度のお金が入るようなシステムを作ることによって、賃労働を相対化して、労働と助け合いの場を作っていくということができたらいいなと思うんですよ。
山下 まったく賛成ですね。たとえばコムニタス・フォロを始めたとき、これを事業として自分の賃金分ぐらい出せるぐらいに設計するということも考えてはみたんですよ。でも、すぐやめちゃったんです。なぜかといえば、自分も当事者としてこの問題に関わりたいし、事業としてやろうと思うと、やっぱり主体と客体みたいな関係になっちゃうし、幻想を背負うことになっちゃう。そういうのはよくないと思ったのが一つと、もう一つは、NPOみたいな活動っていうのは、お金と相性が悪いですよね。たとえて言うなら、アーティストが売れる作品をつくろうと思うと、かえっておもしろくなくなるみたいなことがあるじゃないですか。あれと似てると思うんですよ。芸術的な価値みたいなものや、表現としての自分のプライオリティみたいなものと、売れるかどうか、商品としての価値とは、そもそも一致しない。一致する場合もあるけど、そもそも原理がちがう。けれども、プロとしてやっていくためには、商品原理のほうが強くなっていってしまう。そのあげく、スカスカにさせられて棄てられるようなことがありますでしょう。同じように、NPO活動も、事業として成り立たせようとするあまり、変に強迫的になっちゃうと、地獄みたいなことになっちゃう(笑)。
生田 「フリーターズフリー」もあれで食っていこうと思うと絶対無理なんだよね。
山下 だからそこは割り切って、足りない分はパートでもアルバイトでも賃労働して、100%を求めないってことも知恵だと思うんですね。
もっと言えば、個人の自立なんて言いますが、住居にしても、食事にしても、いろんなことが一人のためって不自然ですよね。歴史上、あり得ないような状況が、たまたまごく短い期間、インフラ的には可能になってるということだと思うんです。個人がお金ですべてをまかなうっていう発想は、おかしいんだと思う。
上野千鶴子が、「小銭をかき集める暮らし方」っていうことを言ってて、それはおもしろかったですね。たとえば、終身雇用のように、一カ所から賃金をもらって一生そこに自分を献げるみたいな考え方はやめたほうがいい、と。複数から小銭をかき集めて収入を得ればいいし、小銭をかき集める人たちが寄せ集まって暮らしたらいいんだと。一家の大黒柱だけが一家分の収入を稼いできて、その柱が倒れたらみんなが路頭に迷うみたいなそういう家族のスタイルはすごく危ない。むしろ、小さい柱がたくさんあれば、1本折れたってなんとかなる、と……。
栗田 それはもう社会もそうせざるを得ない時期っていうか、上野千鶴子が言ったのは、家父長的なものへのアンチテーゼというか理想を謳った部分もあったかなと推測しますが、今は理想じゃなくて本気でそうしないとならないんですよ、だって…
山下 そうそう物理的に無理なんだから(笑)
生田 「働いたら負け」ってあったじゃないですか。あれは何かの悪い冗談だったかもしれないけど、でも気持ちはわかるんだよね。つまり、会社に魂を売り飛ばさないって感じでしょ。それはわかるんだけど、でも、あれも100%か0%みたいな話になってるんで、むしろ魂は部分的には売れると思うんです。自分を殺すっていうか。今みたいに正社員になると12時間も10何時間も働かされたら本当に魂全部を売っちゃうんで、あんなの普通はできない。でも、1日6時間とか、5時間は売れると思うんですよ。
山下 ぼくは、ちょうど一日5〜6時間です。それが限界ですね(笑)。
栗田 魂を部分的に売るってすごい発言ですね(笑)。
生田 でも、それは必要悪でしょう。魂を全部自分のものにするのはこの社会では無理だから。部分的に売って賃労働は何時間かはする。賃労働をある程度しつつ、共同事業的な何かをしつつ、足りない分は行政が補填する、というのがベストではないかという気がするんですよ。
栗田 行政としてもそうしたいとこでしょうね。行政が逆にそういう共同事業的なことを推し進めていくでしょう。
山下 逆に取り込まれてしまうという。
栗田 行政すらそれを望んでいるから、共同事業的なものは可能になりそうだけれど。
梶屋 わりとニュースタートもそうだと思うんですが、いかにお金をかけずに、貧乏人でもなんとか楽しくやっていけるかみたいなものは、資本の方も求めている。
栗田 家事労働を女性がずっとやってきてあげたみたいな感じで、資本、行政の方がお金をかけないで仕事はきっちりやってくれれば、ありがたいに決まっている。
生田 いまNPO、NGOを政府は利用しようとしてますよね。企業の側も、NPO、NGOを利用しようとするだろうし。
山下 それはおそらく、新自由主義の中にそもそもセットされてる問題ですよね。しかし、そこで全部をひっくりかえさなけれぱダメだとなると、武力闘争しかないって話になっちゃう(笑)。だから、今の現状の中でどうやって生き抜いていけるかみたいな知恵は必要だと思いますね。大状況を見て悲観的になっても仕方ないし、悲壮感ただよう運動は生理的に好きじゃないですし……。
栗田 いま私たちが話してきたことは、ある程度は成功したし、成功しつつあると思うんです。だからこそ利用されることを覚悟する必要がある。しかしファシズムじゃないけど、最終的に利用された結果、誰かを殺すことに繋がってはならないということですよね。
生田 「フリーターズフリー」でも話題になったのは、協同組合がファシズムに協力する体質を持ちうる、っていうのがあって、どこかで行政や全体主義に取り込まれる可能性はあるんじゃないかって話はかなりしたんです。そういう意味では、NPOなりNGOなりが、どこかで従来の資本や行政や家族の中に利用されてる面はあるでしょうね。
現状では資本を倒すとか、国家を倒すとか、家族を解体するとかいうのは無理だと思う。ただ、相対化することはできると思うんですよ。相対化して隙間を作ってずらす。
栗田 正直、従来の家族を作ることは「無理」というひともいるわけでしょう。
山下 学校が幻想が保てなくなったのといっしょで、家族も会社も現状を保てなくなっちゃったんじゃないですか。
生田 でも、開き直って強化する動きもありますよ。テロを口実にしてのムチャクチャなセキュリティ国家もそうだし、国家主義も世界的には強まっているし、家族を守れみたいな流れは強いし、企業も労働者をムチャクチャ使い倒しているし。
梶屋 昭和30年代の映画「3丁目の夕日」とか、あれは古い家族観に戻りたいという。
生田 ノスタルジーはいいけど、未来につながらないよね。
山下 未来志向がなくなったということもあると思います。発展史観みたいに、文明は進化するもんだとか、技術は進歩するほど豊かになるとか、経済的に豊かになればなるほど幸せだみたいなことが信じられた時代は、もう終わってますよね。
栗田 不安が求心力というのは、しがみつく感じですね。しがみつくって。新しいものを創意工夫して作るわけではないんですよね。
生田 セキュリティ国家はそうですよね。不安をあおってしがみつく。
栗田 私は社会を変えるという視点もさることながら、違う生き方でしかもはや生きられない、いわば「仕方がない」で始める部分も重要かなと思うんですよね。大上段に構えられるとすぐ絡め取られそうになると思うし。従来の家族のなかで自分は生きていくことができないからこういうものを作ったとか。不登校の問題においても、学校に行けなくても、関係をつくりたい、学びたい、そこに居られる場所を作りたいという素朴な思いを貫いたほうが長続きするというか。本質を見誤らないかという気がしていて。
山下 「ニュースタート」の寮がどういうものか、ぼくは知らないんですが、実際に、居場所みたいなものとか、家族以外の場所を考えるとき、ぼくは「ひきこもり」っていう言葉は使いたくなかったんですね。
●社会を相対化するゆるめ合っていける関係
生田 そう言えば、「ひきこもりって言うな」ていうのが「コムニタス・フォロ」のホームページにありましたね。「ニートって言うな、ひきこもりって言うな」。あれはどういう意味なんですか?
山下 家族にしか、自分が脱力していられる場所がないわけですよ。あとは、すごい緊張感の高い場所になってる。社会全体がすごい緊張感が高くなっていて、自分を何者かとして、常に売っていかないと生きられないみたいなことになっている。そういう商品関係じゃなくて人が居られる場所が家族しかない。だから、家族はすごく濃度の高い場所になりやすい。
ひきこもりに病理現象が生まれているとすれば、その構造にこそあると思います。それを ひらくとすれば、家の外でこもれる場所があったらいいわけですよ。それを「出こもり」と名づけてもいいんじゃないかと思って、しばらく唱えてみたんですけど、あんまり反響がなくって(笑)。山ごもりとか出家とかじゃないけど、今の世間の価値観をちょっと相対化できるような場所が必要だと思いますね。
ひきこもり支援をしている団体には、今の世間の価値観の中でうまくやってくために支援しましょうというところが多いと思いますが、私はそういう考え方はとっていません。そうでないと、今の世間の価値観が正しくて、いまのあなたはまちがってるということになっちゃうわけです。それはひっくり返したいという思いがある。
当事者自身が、そういう価値観を内面化して、自分を責めているわけですよね。だから苦しいわけですが、そのとき、「そうじゃないよ。それは社会の問題なんだよ」って、いくら“啓蒙”しようとしたって、それは無理だと思います。自分自身のことを思い起こしても、悩んでいるときに、そんなこと言われたって耳に入ってこない。
じゃあ実際に何が必要かといったら、ぼくはもう単純な話、ゆるめる場所が必要なんだと思っています。緊張度の少ない場所があって、そういう中で、社会を相対化する視点を持ちつづけること。説教するんじゃなくて、ぶつくさ、「ぼくはこう思うよ」ってことを唱えている(笑)。そういうことを続けていると、自然と、だんだん共感してくるものが生まれてくるというか、おたがいにゆるめ合っていける関係が生まれてくるんですね。だんだん、ボーっとできる場所になってくる。
栗田 贅沢な場所ですよね。私、人民新聞社の話し合いでも触れたんですけどゆるめる場所というのは空間を「有効利用」するというのとは反対のことですよね。それこそ今は空き地はすぐ駐車場にするじゃないですか。その発想へのアンチテーゼだと私は思うんです。ほんとうに「空き地」が必要という話をしないといけないじゃないですか。
私自身は、シスターになりたかったんだけど、それは「空き地」への思いと地続きなんですね。お寺とか宗教的な場所が「ゆるめる場所」と捉えていたので。でもそれも私の幻想が入っているんですけどね。
山下 それもAll or Nothingで考えないほうが楽だと思いますね。出入りができるっていうか。
生田 夜回り先生は、お寺が日本にはいっぱいあるんだから、そこは子どもが行ける場所にすべきだって言っていました。それは宗教の有効利用なんだけど、でも残念ながら仏教にはそういう力は多分いまない。キリスト教はがんばってますよね。
梶屋 そうですよね、キリスト教はいろいろやってるのに、なんで仏教はあんまりそういうことをやらないんでしょう。一部、若者自立をやってるところがありますけど。
栗田 あんなに敷地があるのにね。(笑)
生田 お寺はいいよね、場所は。庭もあるしさ、鐘も突けるしね(笑)。
一部の若者にとって、ゆるめる場所は「寄せ場」です。拒食症、摂食障害の子の話をたまにするんですけど、摂食障害の子は多くは社会の価値観に過剰適応している子が多くて、良い子でいなくちゃとか、体重を落とさなきゃとか、ジェンダー的な規範とか家族に異常に気を遣って自分を殺し続ける子が多い。それが寄せ場に来ると、メチャクチャで、みんな裸で歩いてたり(笑)、ケンカしてたり、道に寝っ転がってて。
山下 なんでもいいんだっていう。
生田 今まで自分が無理して合わせてきた社会ってなんだったのかって相対化されるじゃないですか。寄せ場がそうして機能してると思うんですよ。ただ、寄せ場は消えつつあるんで、代わりになるものがあればいいと思うんですが。
栗田 そういうものをどれだけ必要としてるか、ということですよね。ある意味では、お寺も本当は社会につながってはいるわけだから。そういうありようはまさに社会的なものとしてリアルなはずなんですけどね。
山下 すごく言語化しにくい面ではあるんですよ。「空き地が必要だ」って言ったときに、ピンと来てくれる人がどれだけいるか……。
栗田 本当に比喩ではなくて「空き地」を消していったんですよね。私の子どものころがバブルの全盛で空き地をライオンズマンションにしてたっていう歴史をつぶさに見てきてますから。それと自分が首を絞められた窒息感っていうのはかなり連動してるんですよね。
生田 そういう意味では、路上でデモしてて開放感があるっていうのは、いわば路上が空き地になるわけですよね。
●山と犬と猫と
山下 たとえば、いま山がなぜ荒れてるかと言えば、全部一回杉山にしちゃって、木材として有効利用しようとしたのに、それが途中で頓挫しちゃったためでしょう。自然の山が崩壊したんじゃなくて、一回造成してしまった山が崩壊してるという問題じゃないですか。自然を資源としてのみ見る視線がそこにはありますよね。
その点、最近、ぼくがおもしろいと思ったのは、宮崎駿が雑木林をそのまま残しておきたいという運動をしてたんですよね。昨年の夏、その雑木林を東村山市が宅地として売ろうとしたんですが、それに対して宮崎駿がマスコミになげかけて抗議して、結局、市は売却方針を撤回して、雑木林は残すことになったんです。ぼくはこれ、快挙だと思うんです。雑木林を雑木林のまま残しておくことに価値を見いだして、それを成功させたっていうのは。これがたとえば、宮崎駿のテーマパークにしますってことだったら、資本がドカーンと入ってくるから、東村山市も喜んだんでしょうけどね(笑)。
生田 それで思い出したんだけど、松浦理恵子の『犬身』という小説に出てくる話で、いわゆる「純血種」という犬いるじゃないですか。血統書がついているような。あれって実は純血種ではなくて、人為的に作りあげられた人工種なんだって。むしろ、日本でゴロゴロ走り回っている雑種こそ典型的な純血の犬なんだと。でも、そういう犬って、どんどん保健所にとっつかまって殺されちゃうんです。今、犬を飼おうと思ったら、ペットショップに行って血統書のついたような犬を買うしかないという状況があるんだって。
山下 脱線ついでに言えば、コムニタスの企画で、保健所に見学に行ったんですね。保健所では、子犬のもらい手を譲っているんですが、かなり待っている人がいるんだそうです。なぜかと言えば、昔は子犬は近所でもらえたり、町中で拾ったりしてたのに、いまはペットショップでしか買えなくなってるから、保健所にもらいに来る人がたくさんいると言うんですね。それから、街中に野良犬がいなくなったのは、毎日、保健所が巡回して捕まえ続けてきたからだそうですね。なかなか気づきませんが、すごく管理されているんだなと思いました。
生田 いまや街中では絶対に野良犬は存在しないです。釜ヶ崎以外は。釜ヶ崎はね、20匹も30匹も走り回ってる(笑)
山下 あそこはすごいわ(笑)
生田 そういえば、紡木たくが10数年ぶりに新作を書いてて、それを最近読んだんですが、犬の話が出てきて、主人公の子どもが犬を飼いたいって言ったら、義理のお父さんが「命は買うものじゃなんい」と言って、保健所に行って犬を引き取りに行くんですよ。それも、ケガして足が動かなくなって、車いすで前足を運ぶ犬を飼うんです。それで、最後に「やっばりこの子でよかった」と思うといういい話でした。
最近読んだけど、ペットの数がいま異常に増えているらしいんです。少子化の影響があるということらしい。ところが一方で、保健所に連れて行かれる犬や猫も飛躍的な増えていて、膨大な犬や猫が安楽死させられているということです。殺されるのがわかって捨てていくという状況で、本当にひどい話だと思う。
山下 ちょっと話が大きくなりますが、産業に役立てるために、私たちは自然をどんどん開発してきたわけですよね。開発されていないところは「未開発」と位置づけた。そういう選別の眼で動物も自然も農産物もすべて、開発してきたわけでしょう。それと同じ視線を、人間自身にも向けているんだと思うんですね。能力主義とかね。それで、自分自身への評価も、その視線に合わせちゃっている。自分の「ある」とか「いる」とか、「そのまんまでいい」とかいうことを、自分自身に対して許してないっていうのは、環境に対してやってることと同じなんだと思います。
栗田 その中で、そのまんまでいいっていうのを念仏のように唱えていても絶対嘘っぽくて(笑)、実はいいわけがないっていう…
山下 「そのまんまでいい」って言ってると、経済的に食えなくなるという問題はありますね。不登校やひきこもりが直面してる問題は、そういう面もあると思います。だから、じゃあ不登校はやっぱりネガティブなのかって考えるのか、それとも、ここまで来てる今の文明のあり方とか、社会のあり方を根本的に問いなおしていくのか……話は飛んでるけど(笑)、そこまで突きつけられるんじゃないかと思いますね。
栗田 本質的なことを語る場すらなかったという。哲学科ところに私はいたんですけど、哲学科はやっぱりそんなことを本気で語る場ではやはりなかった。哲学研究がやはり先にありきだったので。
山下 解説者みたいな人いっぱいいますもんね。
栗田 語る場もないし、本質的なことというのをぐちゃぐちゃ語っていくということもないんで、大学がそういう場所であればと思って哲学に入っちゃったんですけど、でもやはり思うようにはいきませんでした。
●学校に行っていても、行っていなくても問題は共有される
山下 学校については、たとえば、そもそも子どもがいられなくなるような学校がおかしいという問題提起は必要だとは思うんです。学校に見切りをつけるんじゃなくて、もっと学校を改善しないといけない、と。しかし、すべての子に適した学校というのは、あり得ないと思うんですね。そもそも、学校の成り立ちを考えると、さっき話したみたいに、近代化を進めていくための装置という面がありますでしょう。それは、労働の問題にも直接につながっていると思います。会社で正社員で安定して働ける時代はよかったとか、戦後の民主主義の学校はよかったとかいうのは、ある面ではあたっていると思うけれども、もう少し長いスパンからみれば、そもそもの問題があるんだと思います。
生田 昔もやっぱり問題だったと思うんだよね。みんな気づかなかっただけで。ひきこもりの人たちはもちろん問題を抱えて苦しんでいるけど、会社人間だったお父さんはどうだったかというと、やっぱり相当苦しかったわけでしょう。本人は問題を感じなく過ごしていたかもしれないけど。会社人間の裏返しがひきこもりじゃないかということを「フリーターズフリー」で書いたんですけど、本当に極端に裏返しに行ってる状況じゃないかと思うんです。
山下 そういえば、さっきの「ひきこもりって言うな、ニートって言うな」についての質問に答えてなかったので、話をもどすと、「ニートって言うな!」は、本田由紀さんの著書から拝借したわけですが、「引きこもり」とも言うな! とも言いたかったんですね。なぜかと言えば、若者の居場所や、ゆるめる場が必要だということは、何もひきこもってる人とか、働らいてない人だけじゃないと思うからです。要するに、誰にとっても必要だと。「ニート」や「ひきこもり」の人のための場所なんてことには、したくなかったんです。不登校にしても、ひきこもりやニートにしても、人を分類して、その人たちの問題とする意識を崩したいという思いはありますね。
栗田 ふっと思ったんですけど、ゆるめる場を本気で必要とする人をやっぱりどこかで私達はバカにしてるところがあるんじゃないかと思うんです。宗教的なものを本気で求める人をバカにするという感覚というか・・・そういうものを本気で求める人に対する蔑視的なものがどこかあるんじゃないかな。
山下 それはたぶん宗教の問題もあるんでしょうね。いまは世俗の価値観一辺倒で、逃げ場所がなくなっちゃってるから、ややもすると極端に飛ぶしかない。オウム真理教の問題も、そういうところがあるように思いますが、一気に飛ぼうとすると、すごく閉じた空間になっちゃって危ない面があると思うんですね。だから、居場所をつくるにしても、「今の社会はまちがっていて、こっちが正しい」みたいな問題の立て方をしちゃうと、危ないなと思います。
コムニタスに来る人には、たとえばフルタイムで工場労働で働いていて、職場ではまったく価値観の共有とか、深い話ができなくて、そういう話ができる場がほしいと思って来たという人もいました。あるいは、契約社員でずっと働いてきて、そこそこ小銭は稼いでいるけれども何のために働いているのかわからないって人とか。もし、ひきこもりやニートの人の場所という設定にしていたら、そういう人は来ないと思うんですね。
現象として働いていても、働いていなくても、学校に行っていても、行っていなくても、同じ社会状況のなかで生きているわけでしょう。だから、問題は共有されるはずなんですね。たとえば私自身、自分が不登校を経験したわけでもないくせに、ずっと不登校やひきこもりに関わり続けているんですが、それはなぜかと言えば、自分の問題だからなんです。フェミニズムによって男性が問われたのと同じように、そういう力学を生み出していく必要があると思います。
栗田 それが「ひきこもりって言うな」ということなんですね。
山下 そうそう。ちょっとトイレに行ってきます。
栗田 そろそろいったん仕切って。
生田 もう2時間半か!
喫茶店の人 営業時間10時までですので、ただいまお先にお会計の方よろしいですか。2000と40円でございます。
栗田 いま何時でしょうか。
生田 9時46分です。
(終わり)
◆◆ 座談会参加者プロフィール ◆◆
梶屋大輔
1982年兵庫県生まれ。大学卒業後、新卒紹介予定派遣で営業職に就くが、営業の
資質がないと判断され、半年で雇い止めをくらう。その後、NPO法人ニュース
タート事務局の活動に参加し、訪問活動等を行う。一昨年より、フリーター全般
労働組に所属し、プレカリアート労働運動にも力を入れ、日雇い派遣会社(株)
グッドウィルのユニオン立ち上げにも携わる。
山下耕平
埼玉県生まれ。大学を中退後、フリースクール「東京シューレ」スタッフを経て
、1998年、『不登校新聞』創刊時から、2006年6月までの8年間、編集長を務めた。
また、2001年10月、フリースクール「フォロ」設立時より、同事務局長を務める。
2006年10月より、NPO法人フォロで、若者の居場所的ネットワーク「コムニタ
ス・フォロ」を立ち上げ、コーディネーターを務める。
コムニタスフォロ
http://foro.blog.shinobi.jp/
生田武志
1964年6月生まれ。同志社大学在学中から釜ヶ崎の日雇労働者・野宿者支援
活動に関わる。2000年、「つぎ合わせの器は、ナイフで切られた果物となり
えるか?」で群像新人文学賞評論部門優秀賞。2001年から近畿各地の中学、
高校で「野宿者問題の授業」を行なう。「フリーターズフリー」組合員。
「<野宿者襲撃>論」人文書院刊、「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿」ちくま新書刊
栗田隆子
1973年東京生まれ、高校を「登校拒否」で中退。
大阪大学大学院博士課程中退。
現在、有限責任事業組合フリーターズフリー組合員。国立保健医療科学院の非常勤として勤務。
『月刊オルタ』2007年10月号PRIDE OF X (4) 「構造的貧困」を本気で考えるために―無力からの出発
URL:
http://www.parc-jp.org/alter/2007/alter_2007_10_pride.html
『女も男も No.110―自立・平等―』 労働教育センター 特集「品格」ブームって何?
− 「強くもなく美しくもない」者たちのつながりへ




